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この地上に生まれてより此のかた、幾年月を踏まえた月日を、静かに振り返ってみるならば、数多くの想い出たちが、優しく、それでいて懐かしく、胸の内より甦ってくるであろう…。
喜びも悲しも、今の貴方から観たならば、どれもこれも微笑ましくさえ映っているはずである。
あの頃は大変であり一生懸命であったが、いま思い返してみるならば何と、たわいもないことで悩んでいたことか…と、かつての自分を可愛らしくさえ思えることもあるはずである。
貴方が歩んで来た道程(過去)に於いて、貴方自身どれだけの疑問を抱き、その疑問を幾つ解いてきたであろうか…。
なぜ自分が存在するのか?
なぜ多種多様な出逢いがあるのか?
なぜ人は苦しみ、そして悲しむのであろうか…。
こうした全ての疑問に思いを巡らすたびに、その解答が見付からず、頭を抱えた日々も多かったであろう。
物事には全て、始まり(原因)がありプロセス(過程)があり終わり(結果)がある。
それは川の流れに、上流(原因)があり、中流(過程)があり下流(結果)があるに等しい…。
道路に転がっている一握りの石ころにさえも、其処に転がり出てくるまでのキッカケ(原因)があり移動(過程)があり、路面に安定した状態(結果)を現しているのである。
貴方は運命というものが、既に決まった一本のラインであると、思っているのではないであろうか…。
この答えは否であり可である。
そうでないとも言い得るし、そうであるとも言い得る。
結局、運命とは何か…を、知るということが人生でもあるからである。
人間にとっての人生とは、運命(人生)とは何であるかを知る為の旅路(人生)でもある。
現在、貴方を運命付けていると見えるものは、よくよく観察してみると、貴方の環境に左右されているはずである。
それが家庭環境であり、職場(学校)環境であり交友環境であり、強いては地域社会環境である…。
それらの環境の枠の中で、その縛りに耐えかねて、不運を嘆いている人も多いはずである。
しかし此の環境を構成して(創って)いる要素の一つが、貴方の境遇で在ることを忘れてはなるまい。
境遇とは、一つの環境の中での貴方の役割であり、貴方が発する思いと行為とによる、他者への影響を意味するのだ。
つまり貴方の影響が他者に現れ、他者の影響が貴方に現れ、お互いに影響し合って、一つの環境を創らしめているということである。
『立ち向かう人の心は鏡なり』
この言葉は正に此のことを言っているのである…。
更に貴方の境遇を創らしめているものが、貴方の人格(雰囲気)であると知るべきである。
人格(雰囲気)の高低は、環境・境遇の善し悪しを、微妙に左右するのである。
続いて貴方の人格を創らしめているものが、貴方の性格であると知るべきである。
性格(品位)の現れ方、性格の向上・衰退が、貴方の人格を規定しているのである。
更に続いて貴方の性格は、貴方の言葉によって微妙に左右されるのである。
貴方が語る言葉が、貴方自身を如実(そのまま)に現し、言葉の性質に近い性格(レッテル)を、自他ともに認めるに至るのである。
人間は本来、自由自在な生命体である。
その自由自在な生命の発現を縛っているものが、自他ともに認める性格(レッテル)である。
言葉は貴方の心より発されている。
心が何かしらの方向性を持ち、意思の働き掛けが行われる時に、思い(想い・念い)となって、貴方の心から自己展開してくるのが言葉である。
運命を嘆く貴方よ…。
貴方が不運だと思う環境と境遇との一つの要素として、貴方の発する影響も加わっていることを知る必要がある。
全ての責任を他に転嫁(罪や責任を他に負わせる)している間は、運命の扉は開かれてはゆかないのだ…。
責任逃れは貴方の主体性(個性)の否定に他ならない。
主体性(自由意思)には自ずと責任が伴うのである。
貴方は貴方の夢追いに責任(主体性)を持たねばならない。
そうであってこその運命の開拓である。
主体性(個性)の無い人生は、運命に対して単なる操り人形に過ぎない。
運命の開拓は、心の浄化(純粋化)より始まる…。
心が変われば世界が変わるのである。
貴方の心が浄化するに従って、貴方の思いは善念(善き思い)に満たされてくる。
善き思いは貴方の発する言葉を浄化するのである。
言葉が浄化されるに従って、貴方の性格は自ずと純粋化を増し、やがて自他ともに認める善き性格が確立してゆくのである。
性格が変われば人格(雰囲気)が変わる。
善き性格は善き人格(雰囲気)となりて、貴方の周囲をも浄化(良化)してゆくであろう。
そんな貴方が一人居るだけで、争いは退き、不和は和解を迎え、悩みは解決し、貴方の人格の影響(感化力)によって、環境も境遇も良化してゆくのである。
そして環境・境遇が良化してゆけば、自ずと運命の扉は開かれてゆくのだ。
どうか貴方よ、心の包縛(ふさぎ)を解き放って、自らの生命(運命)を探究せよ…。
貴方が勝手な解釈で探究の歩みを止めない限り、必ず解答に至るのである。
人間(運命)を知るとは、汝自身を知ることから始まり、悟り得た視点で他者(世界)をも観つめてみることである。
外界の全ては貴方の心の投影(あらわれ)であるのだ。
学人(まなびと)の人生(道)は、常なる発見(探究)の人生(道)である。
真実(愛)は見い出した者が、見い出しただけの幸福(喜び)を得るのである。
故に貴方の夢追いは、学人の人生でもあるのだ。
夢を追う道程に於いて、貴方自身が驚くほど多くの、大きな智恵を得るであろう。
夢追う過程の中で、凡ゆる疑問(悩み)が明かされてゆくのである。
日々の学びは何処からでも何からでも得られるのである。
学びは対象(枠付け)を超えるのである。
貴方が其の気になりさえすれば、砂の一粒からさえも、多くの学びを得られるのである。
幼い子供が小さなアリを一日追いかけて飽きないように、真実(愛)の探究は喜び其のものでもある。
何故なら貴方の認識が、より一層開かれてゆくからだ。
心の尺度(視点)は大きければ大きい程、より深い真実(愛)を観じられるからである。
より深い実相(愛)を伝えられるからである。
貴方よ、探究(学び)の命題(目的)を持て…。
一つのテーマ(目的)を打ち立て、そのテーマ(夢追い)の下に日々探究せよ。
貴方だけの命題(人生観)を確立せよ。
十人十色、百人百様…。
人の数だけの人生観があって良いのである。
他者との人生観を語り合いながら尚一層、深い人生観(貴方の夢)を見い出してゆけ…。
人間(運命)の開拓に終わりは無いのである。
貴方の打ち立てた人生観(夢追い)は、貴方に続く若者(夢追い人)たちが受け継ぎ、彼らは其れを更に進化発展させ、また次代(未来)へと繋いでゆくのである。
貴方の意志(夢)は、彼らの生活(魂)の中で永遠に生き続けるのである。
貴方たちは永遠なる、真実の愛の探究者であるのだから…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
過ぎ去りし日々を重ねてきた貴方よ…。
始まりゆく今日を踏み締めている貴方よ…。
遙かなる未来を遠く望む貴方よ…。
貴方の歩む道(夢)は永遠である。
貴方の歩む道(愛)は無限である。
未だ誰も果たし得ない理想をこそ、貴方は遠大なる心で描くべきなのだ。
今日明日に実現を望むような夢などは、貴方の前途に展開して当然なのだ。
そんなちっぽけな夢など実現して当然であるのだ。
貴方が描く夢は、そんなちっぽけな所に在るのではなく、遙かに遠く大いなる旅路(理想)でなければならないのである。
貴方はジグソーパズルを知っているか…。
何百ピース・何千ピースのパズルを、一つ一つ繋ぎ合わせて、全体としての絵柄を完成してゆく訳だが、その一つ一つのパズル(ピース)だけでは、全体としての絵柄が何であるかを推測することは難しいであろう…。
けれどもそのパズルを、二つ三つと繋ぎ合わせてゆくうちに、徐々に全体としての絵柄(形)が明らかとなるのである。
これら一つ一つのパズル(ピース)こそ、いま貴方が接している環境であると言えるのだ。
現在、貴方が接している環境は数多いはずである。
親兄弟たちとの家庭環境しかり、友人知人どうしでの交友環境しかり、仕事あるいは学業での仲間どうしの環境しかり…。
それぞれの環境(パズル)の深い意味を探り、一つ二つと繋ぎ合わせてゆく時に、また貴方の人生(ジグソーパズル)の全体像(絵柄)が、尚さら広く開かれて来て、其処に秘めたる愛の想いの深みを、見渡すことが出来るようになるのである。
貴方は一つ一つの環境(物事)の意味を、深く深く探らねばならない…。
そして二つ三つと環境(物事)と環境(物事)とを繋ぎ合わせて、貴方の本当の人生(夢追い)を、確かに見い出して行く必要があるのだ。
急ぐ必要はない…。
けれども遅れてはならない…。
仏教には中道という精神があるし、儒教には中庸という精神がある。
日本の神道(かんながらのみち)には中津瀬の精神があるのだ。
何れの言葉(道)も貴方の歩調(ペース)に、最も適した歩みをせよと説いているのである。
歩いても良いし走っても良いし、貴方の歩調は貴方の歩幅(生き方)に比例しているはずである。
貴方が今、踏み出した一歩が例え小さくても、例え失敗であったとしても、それがいったい何だと言うのであろうか…。
失敗は成功の母(もと)と言うではないか。
失敗事例は教訓として、今後の歩みの為の心の糧として、智恵へと変換すればいいのである。
其の時、貴方の踏み出した一歩は、成功であっても失敗であっても、常に前進であることに変わりはないのである。
次なる一歩を踏み出すことだ。
更なる一歩を重ねるのみだ。
その場その場の敗北は小さな痒みでしかないのだ。
貴方はちっぽけな戦局に思い悩むことなかれ。
大局でこそ勝利すべきなのだ。
ジグソーパズルの一ピース(部分)の敗北に囚われず、あくまでも大局(全体としての絵柄)を大切にせよ。
要は積み重ねなのである。
樹木の生長を観よ…。
目には確認できなくとも日々生長(継続)しているではないか。
地道に年輪を積み重ね、一本の樹木のみで終わることなく無数に種子を飛ばし、繁茂して子木を増やしてゆくのである。
川の流れを観よ…。
止めどなく流れ流れてゆくからこそ、川は川として歴史を刻み続けるのである。
波の寄せ引きを観よ…。
波は限りなく寄せては返すからこそ、多くのロマンが創み出されてゆくのである。
また風の流れを観よ…。
風は流れを止めた時、既に風としての存在を失くすのである。
貴方の夢追いも継続し続けることにより、貴方の個性が時間も空間をも超えてゆくのである。
貴方は今、永遠なる時間の流れの中の今の一点を歩んでいるのだ。
貴方は今、無限なる空間(道のり)の此処の一点を歩んでいるのである。
過去が在るからこそ現在があり、今を生きているからこそ未来は必ず来るのである。
今を生きる貴方よ、明るい未来を想い描け。
過去の貴方の想い描きが、現在の貴方の環境を創り出しているし、今の貴方の想い描きが、未来の貴方の生き方を規定するのである。
そして今、貴方の想いは、貴方の夢追いは、光(愛)に向かうことが出来るのである。
夢の中に悲しみを持ち込むな…。
夢の中に苦悩を見い出すな…。
貴方の夢には希望(光)と愛とを描き続けよ…。
そして其の夢を追い求め続ける貴方であることを信じている。
継続は力、継続は愛。
日々の積み重ねが、やがて貴方を天才(光)にまで高めるであろう。
諦めを棄てよ、妥協を棄てよ。
続けることこそ夢追い人の日々の指針とせよ。
貴方の本当の夢は、永遠であり無限である。
そして愛と供に遙かなる旅路を歩もうではないか。
同伴(友)は一人でも多い方が良いのである。
夢追い神話(旅路)は今、始まったばかりなのであるから…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
流れゆく風の如く、降り注ぐ光の如く、飾らない素直な心で日々を生きられたなら、どんなに素晴らしいことだろうか…。
想いやる心は慈愛に満たされ、交わし合う言葉は暖かさに溢れ、携える其の手に優しさを湛えて、人と出逢い語り合うことが喜びとなるような、そうした世界に住んでみたいと思わないであろうか…。
これは誰もが心の奥底に、大切に抱いているところの、総ての生命共通の理想である。
その総ての生命共通の理想が、あまりにも深い所に仕舞い込んであるがために、安易に見い出せる人と、容易に見い出せない人とが出て来るのである。
貴方も夢追い人であるならば、貴方の夢を通して、飛び出したがっている本当の理想(愛なる想い)を、何時かは必ず呼び(掘り)出してあげてほしい…。
貴方の内部から語り掛けてくる愛なる光(理想)が、活躍の時期を待ち望んでいるのである。
夢追い人とは、映画の上映者であると言える。
理想という光源(愛)から光を照らし出し、貴方の夢というフィルム(ネガ)を通して、実現という銀幕(スクリーン)上に、貴方の夢が躍動するのである。
理想(光)がフィルム(貴方の夢)を通して、上映(表現)されて来るのである。
ゆえに貴方の夢(個性)には貴方なりの、貴方だけの、貴方にしかない彩りがある。
貴方に適した役割(夢追い)があると言うことだ…。
地球という銀幕(キャンパス)に、最高の幸福な世界(ユートピア)を映し出す為にも、貴方の個性(色合い)が必要である。
貴方の夢追いが必要なのだ。
たとえ誰であろうと、必ず配色(役割)が与えられているのである。
さあ、貴方も顔を上げて、多くの天命(夢)たちと一緒に歩み始めようではないか。
心に情熱と勇気を持て!
形だけの仮初めのものではなく、内に秘めたる本当の情熱と勇気を持て…。
上辺だけの情熱は長く続かない。
上辺だけの勇気は虚しいばかりである。
本当の情熱と勇気とは、内に秘めたる『静かなる情熱』『静かなる勇気』である。
情熱と勇気が本物であるならば、隠しても隠しても全身より、雰囲気となりて湧き出てくるのである。
本当の情熱を持て。
本当の勇気を抱け。
偽りなき情熱は、時代を超えてゆくのである。
偽りなき勇気は、障壁を越えてゆくのである。
情熱は時(時代)を超え、貴方を限りなく愛(理想)に導いてくれるであろう。
行き着く先は『永遠』である。
貴方の命は永遠に生き通しの生命なのだ。
勇気は壁(困難)を越え、貴方の歩みの前途を限りなく開かしめてくれるであろう。
行き着く先は『無限』である。
貴方の命は無限に愛が溢れ来る生命なのだ。
夢追いし者が地上にて夢を叶えてゆく為に、自らの運命を開拓してゆく為に、与えられたる剣(つるぎ)こそ、この情熱の剣(十拳剣…魔を降す剣)・勇気の剣(草薙剣…困難を退ける剣)である。
情熱の剣(十拳剣)を縦軸(時間軸…過去・現在・未来)にし、勇気の剣(草薙剣)を横軸(空間軸…高低・遠近・深浅)にして、二本の剣を十字に構え、あらゆる苦難困難を切り開いてゆけ…。
十字に構えた光の剣の前には、あらゆる暗闇(苦難困難)は退かざる負えないのである。
夢追い人にとって、最も警戒せねばならんものとは『失望』『怠惰』である。
言葉を変えるなら『諦め』『無気力』『妥協』である。
これらの芽が出始めたならば、早い時期に凪ぎ払ってゆく必要がある。
どんなに優れた人であっても、現象界に生きる限り、失望怠惰の腐敗が進み過ぎてしまったならば、其処から抜け出すことが誠に困難となるのである。
毒されてはならないのだ。
失望怠惰に取り巻かれたとしても決して狼狽える必要はない。
貴方の心の中にある二本の剣(情熱・勇気)を取り出して、敬虔な心で、素直な心で、明るい心で…、十字に構えた其の剣を、高く高く掲げるだけでよいのである。
剣の達人は無闇に剣を振り回さない。
高く掲げた十字の剣(情熱・勇気)を、心に深く刻むだけなのだ。
あとは静かに歩み続けるだけである。
常に何かに向かい、遠くを目指す者ほど、その歩みは慎重であり確かであり、目立つ事なき静かな歩みとなるであろう。
その想いを、その行為を、それらの努力を、ただひたすら積み重ね、つまらぬ誹り(批難)を気にする事なく、信じた夢に向かって一歩一歩あゆみ続けるのみである。
水の流れを見よ。
誰に教えられることなく、自然に高みから低みへと流れて、流れの途路に於いて全ての生命たちの生計に役立ち、暮らしに潤いを与え、使命が済んだら海へと帰るのである。
そしてやがて蒸発(気化)して、次なる新たな理想(使命役割)の為に、自らを奉仕させんとするのである。
水の流れでさえ立派に運命の開拓(夢追い)をしているではないか…。
ましてや其れ以上に優れた貴方たちであるならば、さらに立派な運命の開拓(夢追い)を、果たしてゆくことが出来るのである。
貴方の夢(理想)は必ず叶うのである。
何故なら貴方の心の奥底に、暖かき愛の想いが確かに観えるからなのだ。
貴方よ夢を持て。
そしてその夢に希望を描け…。
情熱と勇気を心に携えて、限りなく果てしなく其の夢を叶えてゆけ…。
貴方の夢は、もはや貴方だけのものではなく、貴方の夢の実現を多くの若者たち(夢追い人たち)が期待しているのである。
貴方の夢追いは彼らの道標でもあるのだ…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】