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人間が地上世界で自らの使命のままに生き貫く為には、強く深く高邁な理想を心に有する必要があります。

理想というものは『理』を『想い』描く意志でもある為、言葉を変換するならば、これは『希望』という名の思い描きに該当いたします。
希望とは言葉であり、貴方の生命そのものであります。
実相人間の本来の相(姿)は希望そのものであります。
このことが一体どういう意味であるかを説明する為に、先ずは『思い』ということについて説明しなければなりません。

思いには次の三種類の思いがあり、それは『思い』であり『想い』であり『念い』である訳です。

『思い』とは、1日の生活内で心に浮かんでくるところの、去来する思いでありまして、何方かというと自分を中心に思いが巡るものであります。
〔井の中の蛙〕という諺がありますが、これは単に井戸の中のみを指している訳ではありません。
蛙は大抵の場合、生まれ育った自らの田んぼで一生を終えて行きます。
まあ中には稀に隣の田んぼに畦道を乗り越えて冒険していくような蛙も居る訳ですが、大抵の場合は同じ田で一生を終えて行くのです。
つまり自分の田んぼの範囲(世界)しか知らないのです。
自分中心の世界しか知らず、他の田んぼを知らないし、知らないから認められない…という意思も時には涌いてくる訳です。
『思い』とは『田』の『心』と書く通り、自分を中心に巡らす意思が『思い』ということであります。

それに反して『想い』とは『相手』の『心』と書く通り、これは相手を中心に巡らす意志が『想い』となる…と言う事であります。
この『想い』が深まれば、意志は自ずと『愛』に代わってゆくのです。
因みに恋というものは、自分に無い何かを相手に求める『思い』であり、それは憧憬とも言える訳ですが、その求める(欲する)思いを転じて、相手の為に何かを施したい(与えたい)という意志を巡らす時にこそ、恋心が『愛』へとた昇華してゆくのであります。
また恋愛に関わらず、他の人たちに愛の想いで言動を発する意志は、やはり『想い』によるものであります。

それらの思い(想い)が過去に無く、未来に無く、現在という一定の空間の何処にも無く、今の一点に意識が集中する時に『念い』となる訳であります。
『念い』とは『今』の『心』と書く通り、心が過去の何ものも引きずらず、未来の何処にも囚われず、現在の如何なるものにも縛られず、ただ今の一点に意識を集中する器霊(こころ)が、『念い』であると言う事であります。

これら三つの思い(想い・念い)には一定の方向性があるのですが、それは慣性の法則と言ってもいいでしょう。
器霊(こころ)にも慣性の法則が働いているのです。
皆さんはボーリングを楽しんだことがあると思います。
数十メートル先の10本のピンを、ウェイトのあるボールを転がして倒すというゲームです。

先程の慣性の法則をボーリングに例えるならば、レーンの中間を《現在》だと仮定すると、ボールを投げる位置からレーンの中間までが《過去》であり、レーンの中間から10本のピンの位置までが《未来》であると仮に想定しまして、ここで或る人がボールを投げたとします。
その投げられたボールは投球ライン《過去》からレーンの中間《現在》まで達しました。
其の後のボールの行き先《未来》は果たして如何なる結果を創み出すでしょうか…。
これは想像に難くなく其の後のボールの行き先《未来》は、投球ライン《過去》からレーンの中間《現在》までのボールの転がり具合を見れば大体は推測することが出来るということなのです。
どのピン《未来》に到達するかは、ボールがレーンの中間《現在》に差し掛かった辺りで大体は解ってしまうと言う事であります。

此処で器霊(こころ)に於いての慣性の法則の話に戻しますが、皆さんが過去から現在に至るまでに、より多く心に巡った思い(想い・念い)こそが、貴方の未来像であると言えるのであります。
不幸を多く思った人は、お望み通り不幸になるでしょうし、幸福を多く想った人は、やはり幸福になってゆくでしょう。
病気を多く思った人は病気ぎみな人生でしょうし、愛の想いを多く想った人は愛に包まれた愛多き人生となることでしょう…。

結局のところ常日頃から、どの様な希望(思い・想い・念い)を描いているかによって、貴方の未来像(将来への方向性・魂の傾向性)が決まってくる訳であります。

例えば人間の肉体は新陳代謝を繰り成していると言う事ですが、常に新しい肉我を創り出す原動力こそ希望(言葉)であるのです。
ですから病気ぎみな人は出来る限り病気に対する思い描きを止め(病に対する不安や恐怖を心に抱くことを止め)、健全で前向きな人生観と、未来に対する明るい希望を心に想い描くように努めれば、健康なる言葉(希望)は健康なる肉我を創り続け、不調なる肉我は輩出されて、やがて病気は治癒(全快)してゆくことになるのです。

もっと人間は内なる生命力(生命の自然治癒力)を信じるべきであり、総ての希望を形に現す生命の神秘を、よくよく知るべきであります。
正しく希望が言葉であり貴方そのものであるのです。
夢を描き、その夢に希望することの大切さが、これで判って致だけたと想います。



07 実相流転 【水の道標1】

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