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貴方よ静かに瞳を閉じて、心の水面を見つめてほしい…。
そこには何が見えるであろうか。
希望の新芽が見えないであろうか…。
悩みに暮れて、希望どころではないと呟く人よ。
貴方の悩みとは、いったい何であろうか…。
どうか心を落ち着けて、安らかな気持ちで聞いてほしい。
深夜、眠れない人は幸いである。
貴方は明るく楽しく愛に満ちた夢を描けば良いのだ。
病床の人は幸いである。
貴方は希望を描く十分な時間を与えられているのである。
運命を嘆く人は幸いである。
その運命に希望(光)を放ち、光明化(運命好転)してゆく有り様を、実感として味わえる幸福者なのだ。
運命の開拓は、明るい希望を描くことによって始められてゆくのである。
貴方の未来に希望を描くことによって、やがて希望は時を超え、空間を越えて、貴方自身の道しるべとなるのである。
貴方の希望の想い描きこそ、貴方にとっての夢先案内である。
貴方の希望(個性)が類を呼び、同じ道(希望)を目指す人との、心の出逢いを果たすのである。
貴方が心を輝かせねば、何処かで貴方を待っている人が、貴方の存在(個性)を見い出せないではないか。
個性のキラメキを確立してこそ、貴方が出逢うべき人が誰であるかを見い出せるのである。
希望が何であるか、未だ掴みきれない人よ…。
貴方も旅行に出掛けたことがあると思う。
例えば東京に居る人が大阪へと旅行する時に、乗り物は何にしようか…、新幹線か在来線か、飛行機か自家用車か…と、あれこれ考えるであろう。
着てゆく衣服は何にしようか、お金は幾ら持ってゆこうか…。
大阪に着いたなら何処を見て歩こうか、何を食べようか…と、あれこれ考えるであろう。
こうして旅路の計画を、心に巡らせ考えることこそ、大阪行きの旅行という『夢』に対して、どのような旅路にしようかと、あれこれ考える『希望』を描いていることに他ならない…。
貴方はあまりにも抽象的にのみ希望というものを捉えていたのである。
確かに希望は抽象的なものでもあるが、より具体的なものでもあるのだ。
抽象的な高き理念(理想)を地上に現し出す為には、具体的な想い描きが必要となるのである。
貴方の夢を実現する為には、やはり具体的な想い描きが必要となる。
そしてその想い描きが具体的であればある程、実現の時期が早まってゆくのである。
また貴方に言うが、貴方は誰かを愛したことがあるであろうか。
好きになったことがあるであろうか。
その想いを、相手という『夢』に対して、貴方なりの理想的な恋愛像を描くのではないか…。
それこそ愛の対象者である相手(夢)に対する、恋愛像(希望)であるはずである。
この地上に存在する総ての事象(在りとし在らゆるもの…)は、まず高き理念があり、その理念を何処かで誰かの心がキャッチ(受信)して、企画設計(想い描き)され、その設計図の下に量産されて、各家庭、各場所に配布されているのである。
理念(抽象性)があり企画設計(具体性)があり、量産(実現)となってゆくのが正しいプロセスである。
総ての事象(在りとし在らゆるもの…
)の中には、必ず高き理念(愛)が宿っているのである。
貴方が希望を描く時にも、必要不可欠なものは『愛』であるのだ。
貴方が描く希望が、貴方を含め、誰かを幸せにしてゆくものであることを、深く信じ続ける…。
貴方が描く希望が、何処までも規制なく枠付けなく、無限に永遠に延べ広がることを、ひたすら信じ続ける…。
貴方の描く希望が、限りなく達成し続けることを、一点の疑いも持たず信じ続ける…。
そして貴方の夢追いが、全ての個性(夢)と愛に於いて一つに繋がってゆくものであることを、ただただ信じ祈り続ける。
時代の転換期である、現代を選んで生まれてきた貴方たちよ、情熱の人であれ。
熱き魂の人であれ。
貴方が求める夢に対して、ひたすら歩み続ける人であれ…。
貴方の後ろ姿に大志(夢)を描き、従い来たる次代の若者たち(夢追い人たち)にとって、貴方は輝かしき目標(道しるべ)になるのである。
愛は、そうした貴方の内にこそあり、そんな貴方をこそ愛したもうのだ。
貴方よ『光』であれ…。
貴方よ『愛』であれ…。
世界を照らす『希望の光』であれ…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
登りゆく朝日を追い掛け、沈みゆく夕日を見送り、日々の生活の中で、貴方よ何を想う…。
朝、家を飛び出し、満員電車に揺られ、俯き声を潜めて職場(学校)へと赴く貴方よ、いったい何を想うのか…。
いつも太陽の光を降り注がれ、青い空の鮮やかな調べを其の身に受け、爽やかな風に心を洗われ、ひっそりと咲いた一輪の花の微笑みが、其処に佇んでいるにも関わらず、何時しか気にも止めず、感動することをも忘れ果てて、虚しく生きてはいないであろうか。
感動(ときめき)は何処か遠くにあるのではなく、貴方の身の周りに寄り添っている。
そしてそれらに気付く貴方の心の中に感動は秘められている。
貴方は何時も感動(ときめき)に包まれているのだ。
それとも貴方は何か物理的な刺激を受けなければ、感動心(ときめくこころ)が湧かないとでも言うのであろうか。
刺激から得るものは刺激でしかなく、それは本来の心の純真さを、見失っている証拠でもある。
堅く閉ざした心の扉を、大木を用いて体当たりしている姿にも似ている。
しかし剛は剛に強く、固き扉はビクともしないであろう…。
時には心の扉が開きかけたとしても、またすぐに日々の生活の中で閉ざされてゆくものである。
しかし本当は心の扉は、いとも簡単に開くのだ。
貴方の心を明るく素直に働かせばよいのである。
そう、つまり明るい未来(希望)を想い描けば良いのである。
希望とは想い描きである。
希望の無い人生とは、深夜(迷い)の道(日々)を前照灯(ヘッドライト)を点けずに走っている車に似ている。
前照灯にて道路(前途)を照らしていないが為に視界が効かず、闇に対して不安となり、その走行(足取り)が疎かになるのである。
そして立ち止まり右往左往している人が多いことは、誠に残念なことである。
前照灯(希望)で道(未来)を照らし出すからこそ、前途(未来)の視界(展望)が開けゆくのである。
そればかりか道(前途)を塞ぐ障害物(苦難困難)をも、事前に確認できるのである。
その障害物(苦難困難)に近付くまでに、それら障害を取り去るか回避するかを前もって、あれこれと対策を練ることが出来るのである。
前照灯(希望)の広さが心を豊かにし、前照灯(希望)の強さが夢(心)を高めてゆくのである。
貴方よ夢を持て。
そしてその夢に希望せよ…。
希望というものを何処か遠くに、虚ろに漂うものとして捉えてはならないのである。
希望とは貴方の生命そのものだ。
希望こそ言葉(生命)の本質であり、希望こそ貴方そのものである。
貴方の心の中には伸縮自在なスクリーン(キャンパス)があり、想えば果てしなき宇宙にまで広がり、思えば砂の一粒よりも小さくなる…。
貴方の夢追い里(心のキャンパス)は貴方だけの世界(スクリーン)であり、貴方が描く夢の大きさを、例え誰であろうと規制することは出来ないのである。
貴方はいったい誰に遠慮するのか…。
貴方はいったい何に怯えるのか…。
貴方にも夢追い里(心のキャンパス)があり、貴方なりの夢の世界を描いてゆけるのである。
描け、描け、描け…。
貴方の筆(心)には神秘な力が具わっている。
七色の色彩を駆使して、明るい希望を光の絵の具で彩ってゆけ…。
世の中を見よ…。
暗く俯き、その日暮らしに埋没している人の何と多きことか。
そればかりか互いに罵り、傷つけ合うことを笑いと誤解している人の多きことを…。
或る男優は言った『笑いは神に最も近いのだ…』と。
そう、貴方の仰る通りである。
しかし人を罵り、蔑み、陥れ、窮地に追い込んだ姿を見て笑う『笑い』は、神から最も遠いものであるということも知らなくてはならない。
本当の明るさ、本当の笑いは、あ互いを理解し、相手の立場を尊ぶ中から創み出されてくるのである。
そうだ、笑いの世界にも愛(神)が働きたもうのである。
世の中の誤解を浄化するためにも、貴方の明るい希望の想い描きが必要なのだ。
少なくともこの文章(縁)に触れている人たちは、類が類を呼び、友が友を呼び、使命観が使命観を呼び合って、こうして此処に集っているのである。
心の法則(縁起の理法)は、誠に正直に現象を映し出し、働きかけてくるのである。
希望を描くことに金銭が必要であろうか…。
希望を描くときに、いったい何の道具が要ると言うのであろうか…。
希望を描くことに、特定の場所が無ければならないのであろうか…。
何も要らないのだ。
総ては貴方の心の中に、既に用意されているのである。
貴方は貴方の夢追い里(心のキャンパス)に、里帰りする(視点を移す)だけでよいのである。
貴方は夢を描いて描いて描き続け、信念にまで高まる程に、希望を描き続ける必要がある。
貴方の生命の躍動を見せ続けてほしい…。
貴方の心の輝きを現し続けてほしい…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
貴方よ、高貴なる夢を持て。
偉大なる夢を持て。
美しき理想を描け…。
何ゆえに貴方は、夢を持ってはいけないのか。
何ゆえに貴方は、夢を追ってはいけないのか。
夢を持つことが何故、異端視されねばならないのですか。
夢すら抱けない人の方が、どれほど惨めで情けないことであるかを、何時になったら気付くのでしょうか…。
人間以外の動物たちの中で、夢を描き続けるものが、はたして居るであろうか。
人間以外の植物たちの中で、自由自在に理想を描くものが、ひとつとてあるであろうか。
規制なく枠付けなく、時の流れを越えてすら、広大無辺に夢を描き続けることが出来るものは、万物の霊長と言われる貴方たち人間でしかないのだ。
創造(想像)の自由が与えられているものは人間のみである。
貴方は貴方の夢を、限りなく描き続ける時のみ、貴方が万物の霊長である人間としての証明を、ここに果たしていることになるのである。
日々の生活を維持するのみであるならば、動植物たちの方が、よほど上手にこなすのである。
つまらない不平不満を言わないだけ、彼らの方が勝っているかもしれない。
しかしながら彼ら動植物たちにして、奇しくも果たし得ないものがあるとするならば、それこそ限りなく夢を描く力であると言うことだ。
彼ら動植物たちが羨む力(夢を描き実現する力)を、幸運にも貴方は持っているのである。
貴方は夢を持ち、その夢を何処までも描き続け、限りなく実現してゆくことに於いて、人間として生きていることの証明を果たせよ…。
貴方が人間として時を刻んでいるということの、偽りなき証拠とせよ…。
貴方は動物ではないのだ。
大宇宙の創造主が《宇宙よ、銀河よ、かくあれ…》と、悠久無辺なる夢を実現された如く、宇宙の創造主と全く同じ創造の力(夢を描く力)が、貴方の心の中にも宿っているのである。
その力の偉大なることを信ぜよ。
貴方の内なる心の絶大なることを信ぜよ。
何事も信ずることから始まるのである。
信ずる者のみが夢を叶えてゆくのである。
信念の力こそ、天球を貫き大地を揺るがせ、深き闇夜を退ける、大いなる光の進軍であるのだ。
光が軍を成して進みゆくとき、目映いばかりの輝きとなるのである。
貴方の夢を輝かせる為には、揺るぎなき信念によりて、貴方が描く夢の達成を、信じて信じて信じ抜け…。
これこそ夢を追うものにとっての、最も大切なキーポイントである。
鍵が無くては扉は開くまい。
鍵を捻らなくば乗り物は動くまい。
然らば貴方の夢追いの、鍵(信念)を鍵穴(夢追い)に挿し込んで(貫いて)、始動キー(信じる心)を捻る(歩み始める)しかないではないか…。
貴方が夢を持てない理由は、その夢に愛の想いが気薄であるからである。
貴方が夢を追えない理由は、その夢の達成を信ずる意志が弱かったからである。
それは何故であろうか…。
それは日々の生活を惰性化し、怠惰に埋もれてゆくところに起因しているのである。
其処に喜びがあるであろうか。
其処にトキメク想いが湧いてくるであろうか。
其処に深い深い安らぎを観じることが出来るであろうか。
本当の安らぎとは、快楽のような瞬間的な、束の間の時を濁すものではないのだ。
快楽からは真実の安らぎを観じ得ない。
それは水面に沸き立つ泡のようなものであり、ただ消えゆくのみであり、其処に残されるものは、空虚な遣る瀬無さだけである。
大抵の人は、この空虚な遣る瀬無さを埋め合わせんが為に、更に快楽を求め彷徨うのである。
もはや逃れられない奴隷のように、物質や肉体的欲望の虜となって隷属的立場に堕してゆくのである。
そうであってはならないのだ。
貴方たちは人間であることを想い出せ。
個性を有していることを想い出せ。
知性を、感性を、理性を、そして徳性を有している生命であることを忘れるな。
他の生命たちを愛する想いがあることを、決して忘れてはならないのだ。
貴方よ罪過の輪廻を断ち切る為には、気高き夢が必要である。
清らかで美しき理想を、描き続ける必要がある。
それらの夢を追い続け、実践し続ける中にのみ、あらゆる疑問が解決されてゆくであろう。
あらゆる悩み苦しみが解消されるであろう。
夢というものを抽象的のみに捉えて、実現不可能であると誤解している人たちよ、貴方たちには特に言っておこう。
貴方は何のために生まれたのか?
何のために生きているのか?
おそらくそれすら判るまい。
人間は単に偶然なる物質の結合によって生まれてきたのではないのである。
三次元的な方面からのみ見たとしても、現代の最先端を進んでいると言われる物理科学の領域を見渡してみても、其処には確固とした法則が働いているではないか…。
人が偶然に生まれてくるのであるならば、何と偶然の多きことか。
地上の七十数億の人間たちが、種族こそ違え、肌の色こそ違え、会話や生活形態こそ違え、みな一様に同じ姿形をしているではないか。
目が二つあり、鼻が一つあり、口も一つあり、耳が二つあり、手があり足があり、その位置までも同じであり、単に環境が異なることによる、考え方の違いが認められるだけである。
これが本当に偶然の結果であると、貴方は思っているのであるか…。
そうではないのです。
地上七十数億の人間が、みな一様に同じ姿形を採っているということは、それらの中心を統べる雛形とも言える設計図(理念)が、一人一人の人間を創り成す根源となっているのである。
そうした人間としての設計図を基にして、貴方が生まれてくる為には、貴方なりの人生計画が其処にあるということである。
貴方は貴方の人生計画の下に、地上に降り立ったのだ。
そして貴方が地上に生まれる前に、立ててきたところの人生計画こそ、貴方にとっての真実の夢である。
貴方は貴方の本当の夢を、必ず見つけ出さねばならない。
環境を見よ…。
其処には貴方が夢を達成させる為に、最も必要な人間と物資と、時期と場所とが用意されているではないか。
境遇を見よ…。
其処には今世の貴方が磨くべき、個性と人格と性格と、心の質と傾向性とが、物の見事に現れているではないか。
環境も境遇も、貴方の夢が何であり、貴方の使命役割が何であるかを、雄弁に語っているのである。
それら真実の夢に対する貴方にとっての気付きの要素は、実は貴方自身が用意してきた一つ一つの気付きである。
貴方はまず自分にとっての本当の夢(夢の本質)を、間違いなく発見せねばならないのです。
それが貴方の夢追い人生の、本当のスタートラインであるのだ。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】