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さて、運命は二つの観点から見る必要があるということでした。
一つ目は永遠に生き通しの生命としての運命観であり、二つ目は肉体生命としての何十年かの人生に於ける運命感であるという話をしてまいりました。
この二つの視点は、今までの説明から考えてみますと全く別なるものではなく、一本のライン上に原因・・・結果のプロセスの基で融合しているものであるのです。
それは理想と現実との相関関係と等しく、理想を抱くもの(描くもの)が現実世界に現れて来る…というように、永遠の生命としての進化に伴った運命を、肉体を纏うことによって更に厳しい魂修行を通して、この地上でも進化に伴った霊的運命を辿ってゆこうとすることと同義であるということなのです。
然し乍ら、この地上に肉体を纏って生きている間に、肉体的な怠惰な生活に傾倒してしまい、本来の夢(使命)や理想(役割)を忘れ去り、マイナスの心(悪業・・・カルマ)を自身の心に多く生産し記憶に留め、反省することなく人生を終えて行くために、あの世と言われる幽界にて引き続き苦しんでいる…。
そして霊界に住まう友人知人らの導きの末に、マイナスの心を修正して本来の魂の郷里に帰り着き、自身の魂の傾向性(此処ではマイナスの心を指す)を修正するために、時を経てまた地上に生まれ変わって来るわけです。
その折に自身のマイナスの心を修正し易い環境(地域や家庭)を選んで来るわけですが、それは何故かと言いますと、地上人間として肉体を纏うと殆どの霊的記憶を忘れ去ってしまうため、自身のマイナスの心が一体、何であるかということも忘れてしまいます。
そのため自身のマイナスの心が何であるのかを気付き易い環境を選んで来るのが真実であります。
皆さんを現在、取り巻いている環境や境遇(家庭環境や人間関係)そのものが、皆さんにとってのマイナスの心が何であるかと言うことを気付かせる為の縁であるわけです。
そうであるならば自分自身を取り巻いている環境や境遇から、逆に自身のマイナスの心を逆発想することが出来るのです。
家庭内での様々な問題や、学校や職場での諸々の問題など、いつも同じような苦しみ悲しみが起こって来るということは、それはもう自分自身のマイナスの心の現れなのです。
決して誰にも責任を転嫁出来ないのです。
例え相手が100%悪いように見えていたとしても、敢えて其の環境を選び、又は選び易いように計画を立てて来たのは、他ならぬ自分自身であったのです。
相手は敢えて我が身のマイナスの心が何であるのかを知らせんが為に、そのような悪しき役柄を演じて下さっている観世音菩薩の慈悲の説法なのです。
これは有り難いことなのです。
そうした相手との問題(縁)が無かったならば、自身のマイナスの心が何であるのかが判らないまま過ぎてしまったかも知れないのです。
その時の相手の存在は、自分自身のマイナスの心を気付かせる為に、敢えて自己の霊性を落としてでも、辛い役柄を演じて下さった人なのです。
そのような人に対して心から感謝し、その人の前途が今後より一層、幸福でありますことを信じ祈ってあげなければならないのです。
このように自身のマイナスの心を気付き易い環境に生まれ、生活してゆく中で、いつも自分が犯しがちな過ち(間違った思いや行為、悪癖なども含み)があると思います。
それがいったい何であるのかを、先ず見極める必要があるのです。
普段の生活が当然であると思い込んではいけないのです。
利己心の魔を一刻も早く取り去らねばならないのです。
マイナスの心はマイナスの心としての方向性(傾向性)を持っております。
何時も何かに囚われて、自棄に興味をそそられ、その思いに操られるが如く、自分でもコントロールが効かない程に同じ物事に心が引かれて行く…。
そして其れは大抵の場合、欲望と怠惰である訳ですが、止めたいと思いながらも止められず、いけない事と知りながら其の行為を行ってしまう…。
其処には其れらの行為を呼び込むような、魂の傾向(方向性)が有るということに気付くべきであります。
この魂の傾向こそが俗に言う『宿命』と言われるものに該当いたします。
宿命と言うものが現在まで逃れられないもののように伝え残されて来た訳ですが、真実は自分自身が過去(過去世を含み)に於いて、マイナスの心として自分で自分の心に刻み、今世に於いて其れを修正すべく、人生の課題として、人生の問題集として取り組んでいる、十分に修正可能な、いいや修正してゆくべきマイナスの心である訳です。
自分自身の心の問題として誤って生み出した宿命であるからこそ、自分自身の努力と根気で解決してゆけるものであります。
自分で解決出来ないような問題は、もともと生み出しようが無いのでありまして、諸々の環境も境遇も全て自分の心の副産物である。
仏教で説かれる三界唯心所現とは、これら心の法則を厳密に説いた正法仏理であったのです。
ですから悪戯に宿命を避けて目を瞑ってしまうべきものではなく、勇気を持って其れらのマイナスの心を見極めて修正してゆくべきではないでしょうか…。
地上人間の環境や境遇は、自身のマイナスの心を修正する為に、最も適した環境を選んで来たという話をしてまいりました。
そして其の環境から自身の魂の傾向を読み取り、マイナスの心を修正する必要があるという事でありました。
マイナスの心を修正する為に選んで来た環境であるならば、そこで廻り逢う人たちも、自身の魂の傾向性を気付かせる人たちであると言う事でもあります。
こうしてマイナスの心を見極め、それを反省して心を修正し、今後の人生のプラスの要素として、それらの体験を生かしてゆけたならば、マイナスの心はプラスの心となりて、貴方の未来を輝かすことになります。
何故一早くマイナスの心を修正しなければならないかと言いますと、それらのマイナスの心に覆われて小さく埋もれている、貴方のプラスの心(真実の夢)を現し出してほしいからです。
何十年かの魂修養に於いて、マイナスの心の修正(カルマの刈り取り)のみで終わってほしくないからです。
ましてやマイナスの心に気付くことなく人生を終わってはならないのです。
運命論でもお話ししましたように、人間の本来の生命は、尽きない進化を臨むことが本義なのです。
真実の愛を深め広げることこそが本義なのです。
此処を間違ってはならないのであります。
進化を臨む中で、間違った自由意思を持ったが為に、マイナスの心を強く記憶に刻んだのです。
そうである以上、マイナスの心の修正のみで決して良しとしてはならないのです。
マイナスの心を修正し乗り越えて、生命(自分自身)の本来の進化に添った本当の夢追いにまで、人生を昇華させてほしいのです。
そこまで人生を有意義に生ききってほしいのです。
いいや、そうであるべきだと思います。
自分自身の環境の意味を知った時、自身の魂の傾向に気付いた時、そしてマイナスの心を修正し、それらを乗り越えた時に、人間は『愛』というものの本当の意味を悟るのであります。
出逢いというものが、真実の愛を深め広げる為の縁であったと、心の奥底から自覚することになるのであります。
自分自身のマイナスの心により現れていた環境や境遇を乗り越えた時、始めて自身の本来の夢追いが何であったのかを悟ることになるのです。
その時に始めて、今まで現れていた悪環境の中に、ひっそりとかも知れませんが、自身の真実の夢追いを叶えんが為の環境や境遇、それと共に夢追いの協力者たちが、いつも寄り添っていたということに気付くのであります。
マイナスの心(迷った心)では、決して其れらの善環境は見い出せないのです。
プラスの心(迷い無き心)になって始めて、其れらの善環境を見い出すことが出来、真実の夢追いのプロローグを迎えることになるのであります。
遠い昔、其れは前世ではなく何世も昔の事であると思いますが、生命(人間)が地上に始めて降り立った時には、誰一人としてマイナスの心を持ち合わせてはいなかったはずなのです。
それぞれ(個々生命)がそれぞれ(使命役割)の進化に添った真実の夢を心に抱き、希望に前途を照らされて総て(降臨)が始まったはずなのです。
そうであるはずなのに自分一人の立場・思惑・都合のみを主張し始めた時、暗黒に通ずる黒雲思念がモクモクと発生して来たのです。
その後、幾時代を重ね、自己の尊厳や利得のみを主張する者が富に増え、逆に心正しき者が虐げられるような悲しい時代となってしまいました。
何処を見渡してみても自己中心的な言動をする人が多い為に、多勢の常識として其れを当然と思い違いをして、生まれ育ってくる幼子たちは皆、歪んだ大人たちを見本として素直に其れを真似て、益々生命の光を閉ざして行くしまつ…。
何が本当に正しいのかを知らず(知ろうともせず)、日々の怠惰な生活に埋もれてゆく…。
こうした世の中で真実の夢追いを心掛けてゆくことは誠に困難ではありますが、光(善性)を失いがちな現代であればこそ、偽善(欲望・怠惰)の夢追いではなく、真実(愛の為)の夢追いを一人でも多くの悟りし者が心掛けて、誤った価値観を修復し、歪められた愛を修正してゆく必要があるのです。
一人一人それぞれの夢(個性)を通して、真実の愛を一人でも多くの人々に伝えてゆく必要があるのです。
精神性の向上に於いての、進化の流れを塞き止めようとする人たちが多い現代の中で、老若男女を問わず、一人でも多くの心ある勇士が立ち上がって下さることが今、望まれているのです。
これが全ての人に共通の使命であると言えるのです。
誰もが同じ使命の下に希望を抱き勇気を持って地上に降り立ったのであります。
決して特別な人にだけ特別に与えられた使命ではなく、皆が地上に降り立つ以前に強く心に抱いた共通の使命なのです。
それは一重に『積極性』への帰還であります。
その時(地上に降り立つ以前)の想いを…迷える地上の人たちを憐れみ、何とか救ってあげたい…と、大いなる神に切なく願った想いを、どうか貴方も想い出して致だきたい。
音楽を愛する者はメロディーに愛を奏で、文学を愛する者は文章や詩などに愛を込めて、科学を愛する者は科学を通して真実の愛を発見し続け、絵画を愛する者はキャンパスに愛を表現し、政治経済に道を求める者は其処に秩序と調和が顕現することを目指し続け、それぞれ(個々生命)がそれぞれ(使命役割)の夢(人生)を通して真実の愛を深め、進化に添った方向で努力し続ける中に、真実の夢追いが光り輝いて来るのです。
そうした夢追い人たちが真実の愛に叶った時代を創り、歴史を塗り替えてゆくのです。
その勇士たちとは、他ならぬ貴方たちのことであるのです。
貴方たちは革命を起こすために生まれて来た訳ではありません。
平和運動とはいえ争いの思念の下に戦いを起こすことが、どれほど悲惨な状況を展開して来たかは、歴史を振り返れば明白なのです。
むしろ貴方たちは精神的革命を起こす為に、凡ゆる部門に、凡ゆる善なるアイディアを工夫して、個々の夢を通して真実の愛を此の地上に現してゆくべきであります。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】