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透き通るような青い蒼い空の中に、一握りの雲が、気持ち良さそうに漂っている。
太陽を背にして雲は大地に影を映し出している。
その影の形を変えようとしたところで、影の本体である雲そのものが変わらぬ限り、影は影として存在し続けるのである。
この地上に在る全ての物質は、生命の発露としての心の影である。
心に強く想い描いた理想が、やがて時を経て具現化してきた心の産物なのである。
環境も境遇も、自らの過去(過去世を含み)の想いの現れであることを、正しく熟知する必要がある。
夢を追う者は特に此の真実を、自己の強き責任観として受け止めて致だきたい…。
此処に幼い子供が居る…。
子供は影絵を楽しんでいる。
壁に写る様々な影絵に、また其の動きに、驚きと不安とトキメキとを感じながら、ひたすら影を追っているのである。
幼い子供は、壁に写りたる影に触れて何とか形(影)を変えてみたいと、あれこれ思い悩む訳であるが、自分の思い通りにならない影に対して、時には泣き出し、時には癇癪を起こして壁を叩き物を投げ付けたりもする。
しかしやがて幼い子供も、影を形作る本体の存在を知り、幼子自身が自由自在に影を操る立場に立つのである。
この地上に存在する全てのものは、総て生命の発露(展開)である。
現に形代(形式)として存在するものを変えてゆく為には、元なる思念を変えてゆく他あるまい…。
尤も応急処置として其の場凌ぎの対処が必要な時もあるであろうが、本当の意味で運命を変えてゆく為には、形式を超えた心象(こころ)に目覚めてゆく必要がある。
現れの元から根こそぎ変えてゆく他あるまい。
現代の科学者は、三次元スクリーンに写りたる影の存在を測り、其の動きを観察して、元なる理念(こころ)を法則化し証明することを主として行なっているようであるが、真に目覚めた科学者は、生命の発露を本当に悟り、其れを人々に正しく説明する為の手段として、科学を通して理論を発表されているのである。
其の視点が凡百の科学者とは180度、いや360度違う処にあるのである。
万有引力を発見したニュートン博士にしても、木から落ちる林檎を観察して万有引力を発見したとされているが、落ちる林檎は単に機縁(キッカケ)に過ぎなかったのだ。
形態を超えた理念(こころ)を悟らずして、万有引力は発見しえるものではないのである。
ニュートン博士は生命の発露としての真実の法則性を既に悟っておられたからこそ、万有引力は発見されたのである。
また相対性理論を発表されたアインシュタイン博士も、生命の発露としての理念(こころ)の相異性を十分に悟っておられたからこそ、相対性理論が打ち立てられたのである。
形を合理的に、どれだけ推し量ったとしても、心に目覚めてゆかなければ、単に形骸だらけの枠に固執した、机上の空論で終わるのである。
夢追い人たちよ、貴方たちは主たるものを見失ってはならない。
それは『心』であり『愛』である。
生命(心)の発露として、愛の想いが溢れ出した夢追いこそ、本当に多くの人々の幸福を創り出すのである。
それなのに体裁や欲得願望や富や名誉などが目的となって、後から大義名分として愛を付け足すような夢追いは、多くの歴史が物語っているように、罪なき衆生を巻き添えにして、歴史に爪痕を残すのみであるのだ。
よって夢追い人であればこそ自らに責任を持って、常日頃から自身の言動に注意せねばならない。
心の世界は真実の愛の下に、誠に正しく秩序が確立されているのである。
より深く、より広く、より高く、より純粋に、愛の核心に近付けば近付くほど徳性は高まり、多くの愛の源泉を、直接その身に体現してゆけるのである…。
上下左右関係のような平面的秩序ではなく、ピラミッド型の立体的秩序でもなく、真実の愛の核心に、総ての個性が集中統合し、個々の生命の真価を尊び合い大調和し、それぞれの役割を完全に担い、時間(永遠)と空間(無限)とを融合して、大いなる繁栄を目指す究極秩序が、神霊(こころ)の世界に展開しているのである。
総ての夢の本質(中核)は『愛』であり、形を超越した本当の愛に目覚めてゆく為に、夢追う人よ精神界(こころ)を探究せよ…。
心の中には総てが具わっているのである。
心の中にこそ本当の生命の自由が展開するのである。
そして心の根源にこそ全ての運命開拓の鍵があるのである。
貴方の本体は生命(こころ)であり、心こそ主であり肉体は従であり、全ての環境や境遇でさえ、貴方の心の発露であることを忘れるな…。
此れが人間にとっての基本的秩序であり、心の王国を主体的にコントロールする秘訣でもある。
自らの感情(欲望)の奴隷とならず、怒りを鎮め、欲求を沈め、荒れた心の波立ちを凪いでゆく勇気を持て…。
貴方の本体は心の中にこそあり、全ての感情の統治者こそ貴方自身であるのである。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
今日一日の生活が終わり、独りで床に着く時に、ふと心を過ぎる寂しさは、いったい何であろうか…。
一日を振り返り、語り合った言葉の一つ一つを、細々と噛み締めて考えてみるならば、其処にはどれ程の成果があったであろうか…。
自分自身が語った言葉は、自己の想いの伝達(響き)ではあったが、其の言葉を受け取った人々は、やはり様々な受信(受取り)をしているであろう…と。
響き合う者同志であれば、言葉少なくとも解り合えるであろうが、響き合う対称が違うものであるならば、相手の響きに合わせてゆく他あるまい…。
向こう(相手)が合わせてくる事を、お互いが待っていたのでは、単に時が流れるだけである。
人の数だけの理想論があり、人の数だけの夢追いがあるならば、お互いの共通項を見い出し、助け合い生かし合える部分から、手(心)と手(心)を結び合わせてゆく他あるまい…。
悩みながら、苦しみながら、探し求める解答を見出せぬ日々…。
頭を巡る様々な思い(迷妄)に全てを失いそうになるような時は、直面する課題を一端は何処かに保留しておいて、一人静かに輝き渡る星空を、そっと仰いでみてほしい…。
星々の輝きは、時間も空間をも超えて、いま此処に居る貴方の下に降り注いでくる訳だが、此れら一つ一つの星たちは、貴方が心を開いた程度に従って、其の輝きを変えてくるものである。
彼ら(星々)は知っている。
貴方が言葉に表せない複雑な想念(おもい)を…。
貴方が伝えんとしている想念(おもい)の深さを…。
何万、何十万光年の彼方から、この地上に届けられた輝きは、単なる光を伝えるだけでなく、確かな何かをメッセージとして、降り注いでいるのではないであろうか…。
大切な何かを、輝きをもって伝えんとしているのではないであろうか…。
形あるものは、其れが例え何であろうと、やがては時の流れとともに風化し、朽ち果て、宇宙の要素へと還元されてゆく。
移りゆく全てのものが流転し空転し、何時しか消え去ってゆく形骸を見て、いったい何が物質の本質であると捉えてゆけばよいのか…。
物質(肉体を含み)の生業は、形の奥なる真実を時として覆い隠し、更に人間の心を失わしめる方向へと走りがちであるが、逆説的ではあるけれども、地上的な生業が、形骸を超えた霊的真実の世界を悟る為の、キッカケ(起縁)となりプロセス(過程・階梯)とも成り得るのである。
最終目標として設定した理想が何処に在るかによって、地上生活の全てが意義深いものともなり、意味の無い人生とも成り得るのである。
理想とするものが何であり、其の為の自己確立としての個性化に於いて、其の心が自分本意であるか、それとも自我を越えた個性(役割)であるか、自身の善なる心に篤と問い掛けてみたいものである…。
心を開いて素直な気持ちで、自らの言動を一部始終、自己チェックしたいものである。
深い心の奥底、霊的深層心理の世界は、貴方の地上生活の全てに、誠に密接に関わっているのである。
地上倫理で理解出来ない物事ですらも、潜在意識下の霊的深層心理の世界からすれば、総て明らかになってくるのである。
日々、自らの心の内を照らし出し、自己の本来の姿(善性)を観つめ、原点を見失わず、自然の心(そのままのこころ)で新たな日々を歩み続ければよいのである。
自己の本来の姿が見出せぬ時は、常に自然の心で営みを続ける大いなる自然に対して、其の解答を問えばいい…。
そして海原のような安らかな懐かしさと、山々のような揺るぎない信念と、青空のような穢れなき気高さと、流るる風のような爽やかな優しさと、草花のような鮮やかな潤いと、大河のような清らかな力強さを貴方の心に持ちて、太陽のような暖かなる愛を、接する人々に伝え続ければよいのである。
大自然は荘厳極まりなく佇み、清楚な営みを展開し続け、崇高な光を投げ掛け、神聖な霊域(雰囲気)を醸し出し、ただただ賛嘆しざる負えない、無上無辺の優美さを理念として降り注いでくるのである。
貴方よ、其の大いなる優美の理念を、素直な心で受け止めよ…。
貴方の心に深く深く、優美の理念を体現させよ…。
この徳性を貫くならば、貴方の心は其のままで、大自然の愛の想い其のものと成り行くのである。
個としての貴方は、其のまま全体としての大自然そのものとなり、大自然そのものが其のまま、貴方の個性に反映されてくるのである。
常に自然界と貴方とは一体であり、貴方が語り掛ければ天地が応え、貴方が動けば宇宙が同じく動くのである。
総ては愛の力であり、自我を越え彼我を超えた、調和そのものの成せる御技である。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】
この大地を踏み締め、新鮮な空気に包まれ、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、喜びを分かち合い日々の生活を営んでいることが、果たして当然(あたりまえ)であるであろうか…。
意識するしないに関わらず、心臓は休み無く鼓動し、肺は酸素を吸収し、血液は体内を駆け廻り、健全な肉体を保つ為の営みを続けている。
果たして此れが当然であるであろうか…。
自分の意志で心臓や肺などを操作させなくとも、自然の計らいで、肉体の各器官は立派に休み無く働き続けている。
また地上生命が酸素を幾ら吸い尽くそうとも、緑の木々たちが二酸化炭素を酸素に還元してくれるのである。
これだけ広大な酸素製造工場を、大自然は無報酬で運営しているのだ。
人間はどうであるか…。
大自然に対して何をしたか…。
地球(神)に対して何をしているか。
この地球も人間同様、尊い命(生命体)なのである。
自分勝手に大地を傷付けられても、此処(地球)に生活することを寛大なる心で許しておられるのが、貴方たちの母なる地球である。
この大いなる地球(愛)に人間は生かされているのだ。
大いなる太陽(愛)の光に満たされているのだ。
この事実を先ず、受け入れようではないか…。
生命には自由意志が与えられている。
だから貴方が良い人生を臨もうが、悪しき人生を臨もうが、それは貴方の自由選択によるのである。
しかし其の選択によって、現れてくる事実に対して、すべての責任は自己自身にあることを忘れてはならない…。
人間は大いなる愛に生かされている存在であると共に、自らの意志選択によって主体的に生きている存在でもある。
生かされていながら同時に生きている存在である。
総ての生命は、生命の本質に於いて、其の尊さは平等である。
何故なら生命の根源を辿れば、総ての生命は、たった一つの大生命へと帰郷するからである。
大いなる生命より、個性と役割に応じた働きをせんが為に、無数に枝岐かれてきた個性の一つ一つが、貴方であり彼方(他者)であるのだ。
個別のみではなく全体のみでもなく、生命の本源(みなもと)からするならば、全生命の調和と繁栄の為の、一つ一つの大切な個生命であることを、決して忘れてはならないのである。
全体生命としての個生命は、総て等しく尊いのである。
だからこそ個生命ごとの努力の度合いに応じて、公平な観点からも生命価値(努力の高低により)が、明らかに現れてくるのである。
其れは隠しても隠しきれず、偽っても偽りきれない、神霊の世界の真実なのである。
しかし地上世界ではそうはいかない…。
肉体に備わる感覚(五官)のみでは判断は出来ないし、外見に囚われていては永遠に誤解を解くことは出来ない。
目に映る情景や耳に入る情報を、心の中で正しく整理し、愛の視点で篩に架けて、弾き出した答えを、より大きな愛の想いと行為とに変換して、自己の内より発現してゆく…。
其の時に心の視点が自己に在る場合は、見栄や虚栄で自分を飾りがちだし、心の視点が他者に在る場合は、相手を尚一層、生かし育む為にも、自ら進んで脇役に転じてでも人を愛し、其の人の過失をも許し、相手の尽きない幸せと更なる発展とを、心の底から願わずには居られないのである。
貴方の心の内には愛の想いが溢れている。
自覚するしないに関わらず、貴方は愛深き生命なのである。
貴方の本質が愛の想いであるように、他の全ての人々の本質も、等しく愛の想いに充ち満ちているのだ。
まず自分の内なる愛の想いを発見し、次に他者の内なる愛の想いを発見し、お互いの内部に流れる愛の想いを深め続ける方向に、総ての想いと全ての言動を、相互に理解を臨んでゆくことこそ、本当の意味での和解と言えるのである。
なかなか他者との和解が出来ないと嘆く貴方よ…。
貴方は自らの責任を、他者に押し付けてはいないか。
貴方の周囲に何らかの摩擦が巻き起こって来るからには、其の環境の中に、貴方の心の影響も及んでいたことを忘れてはならないのだ。
笑顔で接する人には笑顔が返ってくるし、渋面で接する人には渋面が返ってくるし、怒りを発散する人には争いが絶えないし、愛を振りまく人には自然と愛を与えたくなってくる…。
自己の環境は自己自身が創造して、他者の心の法則に照り返り、自らの現在の心境を雄弁に語って来るのである。
反面教師とは此のことを言うのだ、
そうであるならば総ての責任は自己自身にあり、他者を責める以前に、自己の心を顧みることからはじめねばならない。
そして其処から打ち出した智恵と教訓とを、他者との融和の方向に於いて、積極的に生かしてゆく姿勢(徳性)が大切なのである。
本当の和解は、自己の心(愛の想い)との和解であり、其の心の現れとしては報恩感謝となるはずである。
感謝すると言うことは、自他共に其の生命の尊さを肯定すると言うことである。
お互いの生命価値を認めると言うことである。
本当に自己も他者も、其の生命の尊さを見出さぬ限り、総てとの和解は得られないのだ。
其の対象が人間以外の何ものであろうとも、生命が宿る総てのものとの和解を臨んでこそ、本当に貴方の運命(人生)が力強く開かれてゆくのである。
総ての生命(神性)との和解が果たし続けられるならば、総ての生命は喜んで、貴方の人生(あゆみ)を補助して(助けて)くれるであろう…。
総ての生命も貴方と同様に、其の内部に愛の想いが溢れているからである…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】