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今日一日の生活が終わり、独りで床に着く時に、ふと心を過ぎる寂しさは、いったい何であろうか…。
一日を振り返り、語り合った言葉の一つ一つを、細々と噛み締めて考えてみるならば、其処にはどれ程の成果があったであろうか…。
自分自身が語った言葉は、自己の想いの伝達(響き)ではあったが、其の言葉を受け取った人々は、やはり様々な受信(受取り)をしているであろう…と。
響き合う者同志であれば、言葉少なくとも解り合えるであろうが、響き合う対称が違うものであるならば、相手の響きに合わせてゆく他あるまい…。
向こう(相手)が合わせてくる事を、お互いが待っていたのでは、単に時が流れるだけである。
人の数だけの理想論があり、人の数だけの夢追いがあるならば、お互いの共通項を見い出し、助け合い生かし合える部分から、手(心)と手(心)を結び合わせてゆく他あるまい…。
悩みながら、苦しみながら、探し求める解答を見出せぬ日々…。
頭を巡る様々な思い(迷妄)に全てを失いそうになるような時は、直面する課題を一端は何処かに保留しておいて、一人静かに輝き渡る星空を、そっと仰いでみてほしい…。
星々の輝きは、時間も空間をも超えて、いま此処に居る貴方の下に降り注いでくる訳だが、此れら一つ一つの星たちは、貴方が心を開いた程度に従って、其の輝きを変えてくるものである。
彼ら(星々)は知っている。
貴方が言葉に表せない複雑な想念(おもい)を…。
貴方が伝えんとしている想念(おもい)の深さを…。
何万、何十万光年の彼方から、この地上に届けられた輝きは、単なる光を伝えるだけでなく、確かな何かをメッセージとして、降り注いでいるのではないであろうか…。
大切な何かを、輝きをもって伝えんとしているのではないであろうか…。
形あるものは、其れが例え何であろうと、やがては時の流れとともに風化し、朽ち果て、宇宙の要素へと還元されてゆく。
移りゆく全てのものが流転し空転し、何時しか消え去ってゆく形骸を見て、いったい何が物質の本質であると捉えてゆけばよいのか…。
物質(肉体を含み)の生業は、形の奥なる真実を時として覆い隠し、更に人間の心を失わしめる方向へと走りがちであるが、逆説的ではあるけれども、地上的な生業が、形骸を超えた霊的真実の世界を悟る為の、キッカケ(起縁)となりプロセス(過程・階梯)とも成り得るのである。
最終目標として設定した理想が何処に在るかによって、地上生活の全てが意義深いものともなり、意味の無い人生とも成り得るのである。
理想とするものが何であり、其の為の自己確立としての個性化に於いて、其の心が自分本意であるか、それとも自我を越えた個性(役割)であるか、自身の善なる心に篤と問い掛けてみたいものである…。
心を開いて素直な気持ちで、自らの言動を一部始終、自己チェックしたいものである。
深い心の奥底、霊的深層心理の世界は、貴方の地上生活の全てに、誠に密接に関わっているのである。
地上倫理で理解出来ない物事ですらも、潜在意識下の霊的深層心理の世界からすれば、総て明らかになってくるのである。
日々、自らの心の内を照らし出し、自己の本来の姿(善性)を観つめ、原点を見失わず、自然の心(そのままのこころ)で新たな日々を歩み続ければよいのである。
自己の本来の姿が見出せぬ時は、常に自然の心で営みを続ける大いなる自然に対して、其の解答を問えばいい…。
そして海原のような安らかな懐かしさと、山々のような揺るぎない信念と、青空のような穢れなき気高さと、流るる風のような爽やかな優しさと、草花のような鮮やかな潤いと、大河のような清らかな力強さを貴方の心に持ちて、太陽のような暖かなる愛を、接する人々に伝え続ければよいのである。
大自然は荘厳極まりなく佇み、清楚な営みを展開し続け、崇高な光を投げ掛け、神聖な霊域(雰囲気)を醸し出し、ただただ賛嘆しざる負えない、無上無辺の優美さを理念として降り注いでくるのである。
貴方よ、其の大いなる優美の理念を、素直な心で受け止めよ…。
貴方の心に深く深く、優美の理念を体現させよ…。
この徳性を貫くならば、貴方の心は其のままで、大自然の愛の想い其のものと成り行くのである。
個としての貴方は、其のまま全体としての大自然そのものとなり、大自然そのものが其のまま、貴方の個性に反映されてくるのである。
常に自然界と貴方とは一体であり、貴方が語り掛ければ天地が応え、貴方が動けば宇宙が同じく動くのである。
総ては愛の力であり、自我を越え彼我を超えた、調和そのものの成せる御技である。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】