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この大地を踏み締め、新鮮な空気に包まれ、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、喜びを分かち合い日々の生活を営んでいることが、果たして当然(あたりまえ)であるであろうか…。

意識するしないに関わらず、心臓は休み無く鼓動し、肺は酸素を吸収し、血液は体内を駆け廻り、健全な肉体を保つ為の営みを続けている。
果たして此れが当然であるであろうか…。

自分の意志で心臓や肺などを操作させなくとも、自然の計らいで、肉体の各器官は立派に休み無く働き続けている。
また地上生命が酸素を幾ら吸い尽くそうとも、緑の木々たちが二酸化炭素を酸素に還元してくれるのである。
これだけ広大な酸素製造工場を、大自然は無報酬で運営しているのだ。

人間はどうであるか…。
大自然に対して何をしたか…。
地球(神)に対して何をしているか。
この地球も人間同様、尊い命(生命体)なのである。

自分勝手に大地を傷付けられても、此処(地球)に生活することを寛大なる心で許しておられるのが、貴方たちの母なる地球である。
この大いなる地球(愛)に人間は生かされているのだ。
大いなる太陽(愛)の光に満たされているのだ。
この事実を先ず、受け入れようではないか…。

生命には自由意志が与えられている。
だから貴方が良い人生を臨もうが、悪しき人生を臨もうが、それは貴方の自由選択によるのである。
しかし其の選択によって、現れてくる事実に対して、すべての責任は自己自身にあることを忘れてはならない…。
人間は大いなる愛に生かされている存在であると共に、自らの意志選択によって主体的に生きている存在でもある。
生かされていながら同時に生きている存在である。

総ての生命は、生命の本質に於いて、其の尊さは平等である。
何故なら生命の根源を辿れば、総ての生命は、たった一つの大生命へと帰郷するからである。
大いなる生命より、個性と役割に応じた働きをせんが為に、無数に枝岐かれてきた個性の一つ一つが、貴方であり彼方(他者)であるのだ。
個別のみではなく全体のみでもなく、生命の本源(みなもと)からするならば、全生命の調和と繁栄の為の、一つ一つの大切な個生命であることを、決して忘れてはならないのである。

全体生命としての個生命は、総て等しく尊いのである。
だからこそ個生命ごとの努力の度合いに応じて、公平な観点からも生命価値(努力の高低により)が、明らかに現れてくるのである。
其れは隠しても隠しきれず、偽っても偽りきれない、神霊の世界の真実なのである。

しかし地上世界ではそうはいかない…。
肉体に備わる感覚(五官)のみでは判断は出来ないし、外見に囚われていては永遠に誤解を解くことは出来ない。
目に映る情景や耳に入る情報を、心の中で正しく整理し、愛の視点で篩に架けて、弾き出した答えを、より大きな愛の想いと行為とに変換して、自己の内より発現してゆく…。
其の時に心の視点が自己に在る場合は、見栄や虚栄で自分を飾りがちだし、心の視点が他者に在る場合は、相手を尚一層、生かし育む為にも、自ら進んで脇役に転じてでも人を愛し、其の人の過失をも許し、相手の尽きない幸せと更なる発展とを、心の底から願わずには居られないのである。

貴方の心の内には愛の想いが溢れている。

自覚するしないに関わらず、貴方は愛深き生命なのである。
貴方の本質が愛の想いであるように、他の全ての人々の本質も、等しく愛の想いに充ち満ちているのだ。
まず自分の内なる愛の想いを発見し、次に他者の内なる愛の想いを発見し、お互いの内部に流れる愛の想いを深め続ける方向に、総ての想いと全ての言動を、相互に理解を臨んでゆくことこそ、本当の意味での和解と言えるのである。

なかなか他者との和解が出来ないと嘆く貴方よ…。
貴方は自らの責任を、他者に押し付けてはいないか。
貴方の周囲に何らかの摩擦が巻き起こって来るからには、其の環境の中に、貴方の心の影響も及んでいたことを忘れてはならないのだ。
笑顔で接する人には笑顔が返ってくるし、渋面で接する人には渋面が返ってくるし、怒りを発散する人には争いが絶えないし、愛を振りまく人には自然と愛を与えたくなってくる…。

自己の環境は自己自身が創造して、他者の心の法則に照り返り、自らの現在の心境を雄弁に語って来るのである。
反面教師とは此のことを言うのだ、
そうであるならば総ての責任は自己自身にあり、他者を責める以前に、自己の心を顧みることからはじめねばならない。
そして其処から打ち出した智恵と教訓とを、他者との融和の方向に於いて、積極的に生かしてゆく姿勢(徳性)が大切なのである。

本当の和解は、自己の心(愛の想い)との和解であり、其の心の現れとしては報恩感謝となるはずである。
感謝すると言うことは、自他共に其の生命の尊さを肯定すると言うことである。
お互いの生命価値を認めると言うことである。
本当に自己も他者も、其の生命の尊さを見出さぬ限り、総てとの和解は得られないのだ。
其の対象が人間以外の何ものであろうとも、生命が宿る総てのものとの和解を臨んでこそ、本当に貴方の運命(人生)が力強く開かれてゆくのである。

総ての生命(神性)との和解が果たし続けられるならば、総ての生命は喜んで、貴方の人生(あゆみ)を補助して(助けて)くれるであろう…。
総ての生命も貴方と同様に、其の内部に愛の想いが溢れているからである…。



06  実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】

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