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この大地を歩む生命たちに、分け隔てなく平等に、与えられたる二つのものは、炎の如く萌え盛る生命と、限りなく開かれた可能性である。
だから誰もが自らの生命を尊び、希望を描き夢追うのである。
生命の尊厳と将来への可能性とを、限定され縛られることを貴方が嫌うように、人は誰もが自らの自由意志の抑圧を嫌うのである。
貴方よ生命(自由意志)の本当の意味合いを、歪めて解釈するな…。
自分一人のみの自由ばかりを追い求め、同時に他者へも影響が及んでいることを忘れてはならない。
貴方は一人で生きてはゆけないのだ。
無人島で只一人で生きてゆけると誤解する人よ、貴方は誰からも恩義を受けずに生きて来たとでも思っているのであろうか…。
こうして貴方が今、生きていることじたい、其の存在が此処に在ることじたい、貴方には父母が居たのである。
其の父母の恩恵を、既に受けている事実を忘れてはならないのだ。
父母への感謝なくして、貴方の運命の開花は有り得ないのである。
夢追い人にとって最も大切なものは、ただ愛の一言に尽きるのである。
愛なくば貴方の生命は無に等しいのだ。
愛こそ貴方の本名である。
本名である愛の想いを、貴方は無心で表現せよ。
貴方の本体である愛の想いを自由に開放せよ。
恥ずかしいとか姿形がどうであるとか、表現方法が粗野であるとか、こうした自己の外見ばかりに気を取られて、大切な愛の流れに蓋をするな…。
愛は表現しなければ完成しないのである。
人間が最も深めなくてはならない信念は、心からなる愛の想いである。
この深まりに終わりはないのである。
貴方が誰かを愛する時に、その愛が本物であれば、お互いの意志は疎通し、自己と他者の心は一体となり、通い合う心の中には、優しさと温かさとが流れることを実観する筈である。
それと同じように、貴方が無心に愛を実践する時には、この宇宙を統べる創造者の愛と一体化し、貴方の心より無限に愛の想いが湧き揚がって来るのである。
故に見返りを求めなくとも、愛の想い深き者ほど、宇宙の創造者の真実の愛に、より深く守られ導かれてゆくことになり、多くの愛を与え得る者ほど深き愛を受けることになるのである。
貴方よ功績や賛美は決して私しないで、常に貴方を守り導きたもう宇宙の創造者に還元せよ…。
感謝の言葉として、そして更なる深き愛の実践として…。
愛の世界に於いては、自己を捨て切れる者ほど、かえって生かされることになるのだ。
自己を捨てるとは命を絶つことではなく、我が内より湧き揚がる愛の想いを、貴方の個性を通して、純粋に自由に解放することを意味するのである。
貴方の内なる心には、宇宙の創造者と同じ、深き愛の源泉があるのである。
この自己の内なる愛の源泉を自覚し得たものは、他者の内なる心の奥底にも、同じ愛の源泉を見い出すのである。
現状がどうであれ、人間は本来『愛』そのものであると本当に自覚し得た者は、その自覚を更に深めんとして自らを磨き、輝き出したる愛の想いを素直に明るく表現し、他者への愛の行為として、日々の生活の神聖化を進めるのである。
この愛の想いを基盤として、常に自らの言動や全生活を自己チェックし、軌道修正することを惜しまないのである。
自己を汚なき者と錯覚するものは、その汚なき自己の視点でもって他者を見んとするがために、他者の内に、どれほど善きものが溢れていたとしても、かえって悪しきものを探してでも見い出そうとするのである。
夢追い人よ、貴方が本当に夢を追わんとしているならば、まず自己の内なる真実の愛の想いを見い出せ。
他者に対する優しさや温かさ、同悲の心、育む心、生かさんとする心、過ちを許す心、そして善導する心…。
内なる愛を見い出してこそ、誠に貴方の夢追いが、愛そのものとなりゆくのだ。
内なる無限の可能性を見い出せ。
生命の本源にたち帰れ。
愛の大河に超入せよ。
貴方の心の内なる愛の想いを解放する鍵こそ、貴方が本来は宇宙の創造者の深き愛と、一体であることを信じる力である。
信念の力である。
類が類を呼ぶのである。
愛深き者ほど、深い愛の世界にまで入る事が出来るのだ。
愛深きものほど、深き愛の大河を自らの内に宿しているのである。
貴方よ愛を深めよ。
深め続けよ…。
人生の本当の意義は、愛を深めるところにあったのだ。
人間が転生輪廻する理由も、常に個性を磨き向上を臨む理由も、他者との調和を望む理由も…。
全ての疑問を解くものこそ、この愛に他ならないのである。
貴方よ信ぜよ。
貴方が愛の子であることを。
光の子であることを…。
貴方が人生途上(夢追い人生)で深めねばならん只一つの信念は、正しく愛そのものである。
限りなく深き愛を開放する鍵こそ、貴方の信念の力であるのだから…。
06 実相流転 【炎の道標編】 【風の道標編】